スリランカ  Sri Lanka 1982年 その1

 ソウル発の大韓航空コロンボに向かっていた.機内はコロンボ経由でアラブに向かう多数の韓国人でごったがえしていた.高校時代の友人のSと2人で年末年始の休暇を利用して,スリランカに向かう.海外旅行に慣れているSと異なり,ぼくは緊張と興奮を感じていた.伊丹からソウルそして10時間ほどでコロンボ空港に早朝到着.巨大な体育館のようにガランとしたターミナル.外は熱帯の朝の太陽の光と熱帯雨林の世界だった.おんぼろバスでコロンボ市内に向かう.これから10日間のスリランカフリーの旅のはじまりである.スリランカは今も民族対立が続くが,その歴史はインドからのタミル人,そしてポルトガル,オランダ,イギリスなど西欧の植民地化との闘いの歴史でもある.1948年英連邦から自治領セイロンとして独立.そして1978年スリランカ民主社会主義共和国に国名が変わる.2006年で人口2022万人である(Wikipedia).子供のころはセイロン紅茶の国と知られていた.
 バスは未舗装のほこりっぽい道路を走る.コロンボスリランカの首都である.北杜夫はドクトルまんぼう航海記の後半にコロンボ港に寄港した後,動物園を訪れたことを書いている.須賀敦子もはじめてヨーロッパに向かう船がコロンボ港に到着するが,下船できず残念だった思い出を書いていた.今思うとあまりコロンボ市街の記憶はない.しかし写真を見るとかなり魅力的な街のようだ.これから始まる旅に期待が大きかったのだろう.古いホテルに1泊したことが記憶に残る.コロンボでホテルに1泊した後,リュックをかついで定期バスに乗り込み,古都キャンデイに向かう.現地の人ばかりで観光客はいない.キャンデイは中部の山間の州都で,仏歯寺が有名である.巨大な仏像や林間を飛翔する金緑色の大型アゲハチョウを採集したのが印象に残っている.しかしゲストハウスの夜が明けると三角缶の中の美しい大型のアゲハチョウの胴体は見事に凶暴なアリに食われていた.熱帯のアリのすざましい食性を知らなかったのだ.今考えると残念で仕方がない.写真はコロンボの市街地.