死んだ父と学徒動員のこと

 最近憲法,領土,歴史問題などが議論されている.父は学徒出陣で海軍航空隊に入隊,敗戦を鹿屋基地で迎えた.父から戦争体験を断片的には聞いていたが3年前の冬に病院で肺炎のため88歳で死んだ.老衰だと思う.父は自分で十分生きたと,いや生き過ぎたと思っていただろう.戦争体験者の多くが亡くなり,父から当時の様子をもっと聞くべきだったと今悔いが残る.写真は父が自宅納戸に残した召集された時の大学のゼミ仲間と担当助教授の寄せ書き,それから海軍航空隊で使用した飛行用ゴーグルと岡田海軍大将(ハト派の首相で知られる.2・26事件で皇道派に狙われるが逃げることができた)の激励のことばを示す日の丸である.そのうちに家から消失するのではと思い,西宮市国際交流センターに寄贈した.この写真が示すものは決して「国を愛する青年達の美談」ではない.父の多くの友人達が愚かな戦争に対して無念な思いで寄せ書きをしたのではないかと思う.とにかく生き残りたいと強く思っただろう.父が40代だろうか,何かのきっかけで「こんな戦争で死ねるか思った」と言ったのを思い出す.また昭和天皇の葬儀の頃だろうか,父に「天皇の戦争責任はあるのか?」と聞くとしばらく考えて「ある」と一言言ったことを覚えている.老いてから認知症を患い,しばしば中百舌鳥に住む父の大学時代の友人堀川さんが同じく学徒動員で海軍に入隊し小型潜水艇に爆弾を積み,アメリカ軍の艦隊に突入,戦死したことを何度も聞かされた.今で言えば自爆テロだ.父はアメリカ軍との空中戦で大量の航空パイロットが失った海軍の即席の航空パイロットとして訓練を受け,鹿屋基地に派遣されたようだ.また,この話は続きを書きたいと思う.