阪神間の文化 再考

 今までこのブログで何度か阪神間に残るいわゆるモダニズム建築や歴史について、自分なりに感じていることをことばや水彩画であらわしてきた。そのスタンスは肯定的である。この地域は温暖で海と山に近く住みやすい。穏やかな地域である。この地域の人は攻撃的なことを好まない。作家の村上春樹は西宮の海に近い香櫨園から芦屋付近で高校まで育った。その後、東京の大学に行く。彼が新人賞を受賞してからしばらく数作読んだと思う。イタリアやアメリカでの滞在記や河合隼夫との対談集「村上春樹 河合隼夫に会いに行く」は読んだ。熱心な読者ではなかった。震災前まで彼はこの地域について、小説にもエッセイにも明確にはほとんど何も記していないと思う。自分は村上春樹を論じたりするような資質もないし、愛読者でもない。しかし、作品に見え隠れする阪神間の風土とそれを肯定できない屈折した村上の精神を感じていた。エッセイではかなりはっきりとそれを語ることもあった。もっとも興味深かったのは対談集で「detachmentとcommitment」ということばで自らを河合に素直に語っていたことだ。簡単に言えば「関わらない」と「関わる」だろうか。彼は大学卒業後、70年代を東京でジャズ喫茶(bar)を経営し、小説を書き始めても文壇に背を向け、海外で執筆を続け、自分は社会に対し「detachment」していたと語る。ポストモダン的な思考、行動だと思う。自分には否定も肯定もできない。神戸の震災後、彼は「故郷」の阪神間に眼を向けたようだ。そして穏やかな風土の「故郷」への屈折した違和感を乗り越えて「commitment」を始めた。
 学生時代、たまたま父の書棚にあった井上靖の小説「射程」を読んだことがある。随分前のことだ。映画化、テレビ化された「氷壁」は有名だが、今、井上の小説を読む人はほとんどいないだろう。この「射程」は芦屋出身の勘当された医者の息子が戦後の闇市で莫大な財産(今の貨幣価値で数百億円か)を手に入れ、芦屋の年上の美貌の女性の幻影に取り付かれ、翻弄され投機に失敗し無一文になる。そして自殺する直前までを描いている。芦屋の海岸近くの屋敷街、神戸の六甲山中腹の住宅街、神戸舞子の海岸の松林にある別荘などが何度も登場する。季節の移り変わりも美しく描かれている。一方で、主人公が生活する大阪の淀川北部の殺伐とした工場街も描かれる。2つの地域を対応させているかのようだ。井上の阪神間の地域の描き方は決して好意的ではない。谷崎の「細雪」とは全く異なる。伊豆出身で京大哲学科卒、毎日新聞大阪支局で40才前後まで勤めている。関西をよく知っている。芦屋の富裕層に対して冷やかである。しかい、その心性は左派的でなない。おそらくニヒリズムだ。何者かへの憎しみとでもいうものがあるかもしれない。この地域を舞台にして他にこんな文学はないだろう。しかし、主人公の青年に自分は惹かれてしまう。 
 10数年の間隔をあけて、この地域に戻り、かなりの時間が経過した。今も自分のその思考・精神は残っている。海外生活の長いある友人は、「神戸ぐらいいい街はないよ」と語る。おそらくそうなのだろう。戦前大阪の富裕層がここに移り住み、海外から多くの外国人を受け入れてきた。そして、今は多くの輸入車が走り、「おしゃれな街」として広く知られるようになった。今だ自分はこの地域の風土、精神(取りあえずモダニズムとする)に肯定的になれないところがある。