鈴木信彦さんの想い出

 生態学者の鈴木さんが亡くなった。九州の大学の近くの自宅で焼死ということをインターネットで知った。ショックだった。彼が九州の大学から神戸大学に赴任したのは、震災の翌年1996年だったと思う。大学はまだ多くの被災者の避難所でもあった。彼は生態学の「動物と植物の相互作用」という分野の専門家だった。神戸に滞在した期間は6年余りだっただろうか。彼からは学問的にも人としても多くのものを学んだと思う。自らも研究を行い、論文を書き、また学生、院生を手塩にかけて指導しているのが傍で見ていてよくわかった。研究材料は、身近な昆虫や植物であった。ギシギシ、エニシダコニシキソウなどを材料に被食、送粉、種子散布など多くの興味深い研究を行い、国際誌に論文が掲載された。遠くボルネオなどの熱帯雨林の華やかな研究とは異なる地味な研究だったかもしれない。そこには彼なりの意地があったと思う。多忙な中、研究の相談に乗り、原稿を読みコメントを何度ももらった。また、学内の教職員組合の副委員長も務め、大学の法人化に反対されていた。どちらも自分の研究を行う上で決して割りのあう選択ではなかった思う。自然を愛するナチュラリスト、酒が好きであった。穏やかな顔で色々な話をされていた。彼の研究室からは、大阪湾と神戸の街並みの広がりを一望にすることができた。あの光景が懐かしく思う。