益田・萩に行く   イギリス水彩画展

体調が悪く長くブログを更新していなかった。ようやく再開。
8月4日から6日まで島根県益田に行く。益田市で英国水彩画展があること、萩の維新に参加した長州藩の城下町をみること、その他仕事ではないが私事のためである。益田市島根県に属するが地理的にははるかに山口県に近い。新神戸から新幹線のぞみで新山口まで2時間ほどで到着する。そして在来線の特急に乗り換え益田まで約2時間である。この線はかつての国鉄そのものである。のどかな山間をデイーゼルの列車はゆっくりと進む。関西では見られない赤い瓦の人家が目立つ。石州瓦というらしい。1日目夕方益田の美術館の水彩画展を鑑賞する。130点余りのイギリスの代表的なターナーなどの代表作を見ることができる。これだけの内容の美術展が益田市で行われるのは不思議だった。しかし、その建物のスケールの大きさ、美しさに驚く。平屋建てで屋根はすべて赤い石州瓦である。無意味な箱物づくりという批判も成り立つが、人口5万人のかつての益田藩の城下町で、水墨画雪舟を生んだ街の意地のようなものを感じる。
 この水彩画展があるから来たようなものだ。東京、大阪などで開催せずあえて地方都市で開催しているようだ。イギリス人は水彩画がよほど好きなのだろう。イギリスの冷涼な平原や城塞などは油彩より水彩が適しているのかもしれない。ターナーは初期ではやや陰鬱に、後期は幻想的な作風に変化している。土曜の夕方2時間余り見たが、他に誰も来場者はいない。室内は24℃、湿度50%に設定され心地よい。係員にどこから来たかを聞かれる。1月ほど前に新聞の広告で見つけて、他に用事もあるのではるばる益田まで来たわけである。2時間ではとても十分見ることはできなかった。この施設の経営はどうなっているのかおせっかいだが気になる。
その夜は益田駅前で地元の魚などを食べる。駅前はひっそりしているが、シャッター通り商店街でもない。10年ほど前に駅前再開発で更地にして道路を広くしたものの、新しい街が形成されなかったようだ。駅裏には大和紡の大きな工場がひっそり残っている。旧市街地は駅から離れるが、そこには雪舟の記念の寺、城跡などがあるようだ。
翌日、山陰線で9:04発の列車で萩に行くつもりが、遅れて、次は午後3時過ぎまで列車はない。おそるべきダイヤである。のんびり列車で行こうと思っていたが、やむなくレンタカーを借りて、萩に向かう。その距離約60km。海岸は驚くような青色をしている。司馬遼太郎が「十一番目の志士」で文頭に「群青をとかしたような、ほとんど信じられぬ碧さをたたえる」と表現していたのがよくわかる。
 萩市内の城下町に入ると、山側に吉田松陰松下村塾の建物が松陰神社の中に保存されている。維新の革命家たちの多くはこの小さな塾で学び、尊王攘夷を叫び、対外戦争を行い、幕府を倒す中心となった。そして明治政府の中核となる。この塾は城跡からからかなり離れた位置にあり、彼ら志士たちは下級武士だったためだろう。城に近づくと上級武士の街が残されている。奇兵隊をつくった高杉晋作らの住居はこの付近のようだ。街を歩くが猛烈に暑い。萩博物館に入り、涼む。高杉晋作の写真などを見る。変わった顔をしている。このような顔を異相とでもいうのだろうか。その夜は暑い萩を避けて山間の温泉宿に泊まり、翌日短時間で津和野の街を訪れ、鴎外記念館を見学して帰途につく。小さな美しい街だ。昼食を食べたうどん屋のおかみさんが「英語圏の外国人旅行客が時々来ている」そうだ。冷たいうどんはうまかった。帰りの新幹線のぞみは更に早く感じ、あっという間に新神戸駅に着いてしまった。早すぎて読書などできない。のんびり旅行するには在来線に乗るのがよいと思った。携行した本、最近人類生態学に興味があり更科巧「化石生物学」(講談社現代新書網野善彦「日本の歴史をよみなおす」(筑摩学芸文庫)。いつも理系、文系両方持って行くようにしている。また水彩画再開の予定。