京都 紫野 大徳寺界隈


2月の末,金曜日仕事がないので京都北区紫野(むらさきの)の大徳寺界隈に向かう.司馬遼太郎街道をゆく34大徳寺散歩」によると紫野という地名は,染料の紫を取る紫草を採集する野原であったことから来たようだ.味のある地名だ.この地は古代の貴族たちが猟をしたり,紫草を掘ったりして遊んだらしい.平安時代,御所から徒歩1時間程度だろうが,御所に居住する天皇にとって禁野である紫野で遊ぶことは,はるか遠くの地で,退位するまで難しかっただろうと述べている. 紫草(和名はムラサキ)はムラサキ科に属し,学名Lithospermum erythrorhizon.初夏から夏にかけて白い花を咲かせるらしい.現在ではレッドデータブックに記載される希少種になっているようだ.司馬遼太郎はこの地が気に入ったらしく,「街道をゆく」で詳細に大徳寺について記している.
 大徳寺は料金を払えば境内に入ることができる観光寺院ではない.歴史を見ると14世紀に成立した臨済宗禅宗)の寺院で,20余りの塔頭があり,それぞれが独立した寺院として宗教活動を行っている.塔頭とは禅宗の大寺の中に,弟子たちが師を慕い,小院をつくったもののようだ.大徳寺の境内に入ると,各塔頭は土塀によって仕切られ,独立している.ヨーロッパの大学のcollegeに近いものかもしれない.当日は,偶々塔頭の一つの聚光院で狩野永徳の国宝障壁画を見ることができた.聚光院は千利休菩提寺としても知られる.通常事前に予約が必要らしいが,見学者も少なくしばらく待つと,入場を許され,本堂南庭の枯山水の庭園と狩野永徳の壁画を案内が付き40分間じっくり見ることができた.障壁画は永徳とその父松栄の合作であり,代表作の一つだろう.本堂のいくつかの部屋にのびのびとした絵を見ることができた.モノクロの水墨画と思っていたが,原色も用いたものもある.大した知識もなく,女性の丁寧なガイドが付き,おそらく単独で見学したのでは分からないことも説明されて興味深かった.また,千利休百五十回忌に当たり,表千家が寄贈した利休好みの茶室が残り,現在も使用されているとのことだ.

 大徳寺境内を西に向かい今宮通に出ると,向かいに紫野高校,東に大徳寺の土塀,北すぐに今宮神社が,南は船岡山公園見える.緑も多く,落ち着いた街並みだ.今宮神社に寄り,名物あぶり餅を食べ,バスで四条に向かい,四条界隈をぶらつき,夕食後帰宅した.