春の六甲山 東お多福山 草原の植物

4月の末の土曜日,三田の博物館の研究員橋本佳延さんの案内で草原の再生の取り組みが行われている東お多福山に登る.子供のころ,東お多福山はススキの草原だった.自分の中学の卒業アルバムを見ると,おそらく1967年の春のお多福山で行われた校外学習の写真があり,見事なススキの草原が広がっている.しかし,その後ネザサが繁茂する山へと植生の遷移が進み,10年程前から市民団体が中心になり,ススキの草原の山の再生のため年に数回,ネザサの刈り取りとモニタリングが行われている.橋本さんの話によると,かつては神戸市東灘区本山村の住民がススキを刈り取り,茅葺の材料にすることで,草原の植生が維持されていたらしい.その人為的な作用の消滅と山火事の減少が,背の高いネザサの草原に変化し,地表に日が当たらなくなり,草原の陽性の植物は消滅の危機にある.しかし,再生事業で,スミレなどの草本類の個体数が増えてきたようだ.またススキを食うバッタ類も増加しているそうだ.草原の再生は
生物の多様性に貢献するのだろう.
 バスで奥池の手前の登山口まで上がり,そこから谷合をゆっくりと登りながら,開花中の木本,草本の説明を聞きながら,山頂に向かう.春先は,多くの植物の葉は展開前で,見通しが良く,観察しやすい.天気も良く,気持ちが良い.雌雄異株のクロモジの花,開花の終わったタムシバ,開花中のヤマザクラや数は少ないがイヌブナの木を見ながら,草原部分の下部に到着すると,背の高いネザサに覆われている.さらにしばらく登ると刈り取られた見晴らしの良い所で,昼食を取る.食後東お多福山山頂から,南西斜面のネザサが刈り取られた草原の中核部に向かう.ここは見事な草原が広がっていてスミレ類,林縁にはシュンランなどが見られる.草原の植生が再生されているようだ.刈り取りは,多数の人力で行われ,その搬出が難しく,草原の隅に積み重ねられている.かつて,茅葺の材料にされていたころは,麓まで運び出すのは大変な労力が必要だっただろう.野焼きを行うことも検討されたそうだが,ネザサを焼くノウハウがないこと,麓に別荘地帯があることなどで延焼の危険性があり行われていないそうだ.今後もボランテイアの市民による刈り取りを続けるようだ.高温多湿の日本列島で草原の植生を維持するのに,これほど人為的な作用が必要だとは思わなかった.しかし,放置すれば鬱蒼とした藪山に変化し,草原性の動植物は消滅するだろう.日本列島では草原は,人と自然の相互作用による産物なのだ.人間活動により形成,維持される気候的極相でない半自然植生を里山と定義すれば(湯本ら2011),東お多福山の草原は里山と言えるのだろう.
 遠くに見えるヤマザクラ,コバノミツバツツジ,スミレなど多くの花は,標高700mの山では今が盛りだった.爽やかな気持ちの良い1日だった.
参考文献 湯本ら 里と林の環境史(2011)  文一総合出版