新書で学ぶ生命科学入門  「ウイルスは生きている」 講談社現代新書


中屋敷均「生命のからくり」の続編である「ウイルスは生きている」を読んだ.前作は生命科学入門として適していると思った.今回は,自然史的な視点でウイルスと生物との相互作用についても詳しく述べられ,もちろんウイルス入門書としても読めるが,内容はより深く興味深い.
 
 構成の前半は,一般的には日の当たらない科学者たちの業績,人柄について述べている.スペイン風邪の原因となった鳥インフルエンザウイルスのゲノム解明に協力するため,医師フルテイン(スウエーデン生まれ)が,高齢にも関わらず,アラスカの永久凍土からスペイン風邪で亡くなった女性の遺体を掘り起し,良質の肺組織を採取し,それをもとにアメリカのトーベンバーガーらは,鳥インフルエンザウイルスの遺伝子配列を解明することができた.フルテインは若き時代に,研究者としてワクチン開発を試みたが失敗し,医師として人生の後半を送るが,若き日の夢が忘れられず,晩年に報酬なしで再びアラスカに向かったのだ.この物語には感銘を受けた.
 次はウイルスの発見者の一人として科学史に名を残したオランダの孤高の科学者ベイエリング, 転移因子(トランスポゾンなどの総称)を発見したアメリカの女性植物遺伝学者マクリン・トラックについて述べている.マクリン・トラックは1983年,81歳でノーベル生理学・医学賞の受賞が決定したとき,その知らせを聞いて「Oh dear!(あら まあ)」と一言つぶやいて,朝のクルミ狩りの散歩に出かけたとされる.ウイルスの専門家には当然この二人の知名度は高いのだろうが,中屋敷は業績は偉大だが,どこか世間から変わり者と見られる孤高の科学者に関心を寄せている.
 マクリン・トラックの業績から著者は原核細胞内のプラスミドとウイルスの区別は曖昧であり,ウイルス,転移因子,プラスミドがひとつながりの存在であると述べている.プラスミドは遺伝子組み換えに利用することは知られているが,プラスミドの存在の意味について気になるが,あまり考えたことはなかった.取りあえずwikiで調べてみると,「プラスミド は細胞内で複製され、娘細胞に分配される染色体以外のDNA分子の総称。細菌や酵母の細胞質内に存在し、染色体のDNAとは独立して自律的に複製を行う。一般に環状2本鎖構造をとる。 細菌の接合を起こすもの(Fプラスミドなど)、抗生物質に対する耐性を宿主にもたらすものなどがある」とある.手元の岩波生物学辞典ではそれに付け加えて「真核細胞のミトコンドリア葉緑体などに含まれるDNAは,一般にオルガネラDNAと呼ばれ,区別されている.その因子(プラスミドのこと)の存在は通常,細胞の生死にとって必ずしも必須のものではないが・・・・」とある.これを読んでいると,プラスミドは原核細胞に固有のものではないし,核とは異なるDNAをもち,細胞内共生しているミトコンドリア葉緑体の存在と厳密に区別できないということになる.
3章は「宿主と共生するウイルスたち」で寄生蜂と寄主昆虫そしてポリドナウイルスとの関係などを紹介している.この本ではもっとも興味深い章であった.寄生蜂を研究対象にしたこともあるが,寄生蜂に対する寄主の免疫作用について,特に考えたことはなかった.この章では寄生蜂の卵が寄主の免疫機構からいかに免れているかをウイルスに関連付けて述べている.このポリドナウイルスは,寄生蜂の卵とともに寄主の体内に注入された後,寄主細胞に感染し,感染細胞内で増殖するのでなく,レトロウイルス同様に,ウイルスDNAを寄主の核に移行させ,寄主ゲノムに入り込んでゆく,そして寄主ゲノムDNAからウイルスの遺伝子を発現させ,タンパク質を生産して寄主の寄生蜂に対する免疫反応を抑制する.さらに寄主の変態を阻止するという.つまり寄生蜂とポリドナウイルスは完全に共生していることになる.ところでポリドナウイルスの起源はどこにあるのか.ポリドナウイルスはどうやら寄生蜂のゲノムDNAにコードされ,寄生蜂のタンパク質をもとに増殖しているとされる.ポリドナウイスルは本当にウイルスなのか.寄主体内で自分に都合のよいタンパク質をつくらせる分子装置ではないかと疑問が生まれるが,このウイルスは昆虫に感染するDNAウイルス,ヌデイウイルスを起源とすることが最近分かったようだ.ウイルスとは何か,ウイルスと昆虫ゲノムとの関係を考えると非常に興味深い話だ.

後半の記述は様々なウイルスと生命が如何に近似した存在かを論じた最近の研究成果を紹介している.海中の古細菌,巨大ウイルス,パンドラウイルスなど、著者は明らかに,生物の3ドメイン説(細菌,古細菌,真核生物)に対して,「ウイルスも生物じゃないか」という4ドメイン説を考えているのだろうか.同じくウイルスについて入門書をいくつも書いている武村政春と視点は近いが,中屋敷はより自然史的な視点でウイルスを考えている.武村のブルーバックスの著作とともにお薦めの新書だろう.

スケッチは以前アップしたのではないかと思うが,寄生蜂(ヒメバチ)を調査した三田市郊外の里山.雨の多い,気温の低い夏だった.