村上春樹「雑文集」と北杜夫

先日芦屋駅前のジュンク堂で新潮社「雑文集」を購入し寝る前に読んでいる。眠れないほどではないが面白い。音楽、翻訳の後書き、CDのライナーなどエッセイ的なものを集めて「雑文集」として編集されている。彼の小説は正直読みたくない。1976年頃だろうか。大学の文芸部とやらに所属していた妹が「お兄ちゃん、これいいよ」と言って渡されたのが群像新人賞を受賞した「風の歌を聴け」を掲載した「群像」だった。読むと少しはまりそうな感じだった。ポストモダンということばもまだ登場しない時代だったが、今思えばそのものという小説だ。名前も村上なんて当時時代の先端を行く村上龍に対するジョークかと思ったほどだ。その頃大学でやりたいこともなくレイモンド・チャンドラーの「長いお別れ」(もちろん清水俊一訳)や司馬遼太郎にはまっていたころだ。しばらく彼の小説を読んだが「ノルウエイの森」以降、彼の小説を読むのをやめた。何だか嫌だった。それから10年ぐらいたったころ家にあった対談集「村上春樹・河合隼男に会いに行く」をたまたま読み、彼の素直な語り口にひかれた。それから彼の何冊かのエッセイを読み面白いと思った。彼の巧みなユーモア、そして都会性。自ら「阪神間少年」を自認し、阪神間への思いやイタリア、ギリシャプリンストン滞在記などで自分の過去を軽妙に語る。しかし、自らの文学をインタビューで語る彼の口は重い。とても読むのが疲れる。このギャップは何だろうかと思う。この都会的なユーモアは、北杜夫マンボウシリーズ、特に「航海記」「青春期」「昆虫記」を思い出す。自分にとっては「航海記」が文学への入門だったと思う。東京青山に育ち、歌人でかつ青山精神病院院長の偉大な父斉藤茂吉をもち、つねに父を意識した北杜夫。彼の小説は初期の幻想的な作品も良いが、初期の「近代文学」に掲載された「渓間にて」などがもっとも印象に残っている。その他長編「楡家の人々」があるが、何といってもマンボウシリーズの3作は良い。そして小澤征爾との対談集を今春読んだ。これも良かった。クラッシック音楽が素人の彼が素直に小澤の懐でブラームスマーラーについて熱く語る。用意周到でかつ彼は対談の名手だと思った。この本は小林秀雄賞を受賞している。彼は河合隼夫との対談前後から社会へのコミットをはじめ、神戸の震災、オウムサリン事件の取材など明らかにポスト・ポストモダンを感じる。自分は村上文学の良い読者ではない。でも彼の軽妙なエッセイや対談、翻訳をこれからも読んでみたい。写真は先日訪れた京都・南禅寺疎水付近。