リスボンの街について 



アムステルダムからリスボン行に乗り継ぎ,リスボン ボルテラ空港到着は夜11時ごろだった.出口でようやく出てきたスーツケースを受け取り,タクシー乗り場に向かう.かなりの乗客が並んでいる.ぼられるともネットでは書かれている.2階のタクシー降り場でベンツのタクシーに声をかけ,年配の運転手にホテル名を書いたノートを見せて出発.しかし,運転手は彼はポルトガル語で色々話してくれるが,英語をほとんど通じす,おおよその内容は予想できるが,会話にならない.ポルトガル語の発音では「ホテル」はこう言うんだよと教えてくれるがホテルに無事着くか大丈夫だろうかと深夜のリスボンの街を走りながら心配になる.不安は的中しリベルダーデ通りに面する名前の似た別のホテルに連れて行かれる.ここじゃないと思い,そのホテルのフロントに確認すると,やはり違う.幸い運転手は,中に入ってきて,フロントマンと話をする.こちらもスマホのホテルの写真を見せて,彼はPCでホテルを確認してくれて,運転手と出発.どうやら似たような名前のホテルがいくつかあるようだ.しばらくして青い壁のホテルに到着.運転手は14Euを要求して,ここで釣りを要求するのも,疲れるので彼に15Eu渡して別れる.ぼられた訳ではないし,まあここでは適当なんだと考えるようにする.深夜になっている.正直疲れた.自宅を出て26時間経過している.

翌朝ホテルの窓から見ると,南欧の赤茶色の家々の屋根と丘の上に古城が遠くに見えるリスボンの街並みが広がっていた.ホテルの1階で朝食を食べて,外に出る.ホテルに面するリベルダーデ通りは,プラタナスの高木が多数植えられて,なかなか美しい.南欧のまぶしい日差しを遮り涼しげで,通りも広く,ゆったりしていて散策に良さそうだ(写真右).
ゆるやかな坂道を歩いてテージョ川方面に向かう.リスボンテージョ川という大きな川沿いの丘陵に広がる,人口300万人(リスボン都市圏として)の首都であり港町でもある.かつて室町時代日本からの少年大使もこの港町に上陸し,マグロ調査船に船医として乗船した北杜夫もここに上陸した.市電が市内丘陵を縦横に走っている.大きな町ではない.インフォメーションセンターでほとんどの交通機関に3日間乗車できるリスボアカードを購入した.結構高い.また徒歩で川まで歩き,川沿いの市電に乗り,ジェロニモス寺院に向かう.市電は観光客で混んでいる.15分程乗り,寺院前で下車.日差しはきつくかなり暑い.川岸に有名な大理石の「発見のモニュメント」と「ベレンの塔」が見える.取りあえず,アイスクリームを食べて,寺院の前で入場券を購入する列に並ぶ.確かリスボアカードで入場できるはずだと思い,係に英語で聞くがどうも通じない.結局横の列に並ばせてくれて割引で入場する.壮大な石造りの寺院だ.壁には貝など海に関する彫刻が目につく.空の青さが目にしみる.中は思ったほど涼しくない.壮大な礼拝堂に圧倒されるが,結構暑い.前日の疲れが残り,寺院を出て休憩のためカフェに入る.Star baksだ.
再び市電に乗り,市内に戻り,途中で乗り換え,市内の丘陵を横断する市電に乗り,街並みを見る.狭い坂道をかなり強引に市電は走る.運転手は長髪・金髪の結構かっこいい女性だ.素足の片足を小さな台に上げて運転する.前方をトラックがふさぎ,渋滞すると警笛を鳴らし,大声でどなりつけていた.海を眺める急斜面をモノレールが昇ってくるのを見ることができる.有名な光景だ.この路線の市電に乗るとリスボンの街の様子が良く分かる.1時間ほども乗っただろうか.終点で降り,スマホでリベルダーデ通りに戻り,買い物をしてホテルに帰る.日差しが強く,暑いのがかなりこたえる.水分補給が必要だ.リスボン市民の夕食の時間は遅く,9時ごろだろうか.夜はホテル近所の裏通りの食堂街でエビ料理とサラダ,ビールで夕食.エビが結構高く,計30Euだった.魚介料理が豊富だ.呼び込みがすごい.日本人だとすぐ分かるらしく,「こんにちは」などと話しかけてくる.でも日本人はほとんど見かけないし,アジア系の旅行者は多くない.はるばる地球の反対側の小さな国に来たんだなあと思う.どこかアジアを感じさせる裏通りだ.フアドを聞かせる酒場もこのあたりにあるのだろう.   
 今では日本とあまり関係のない?この小さな国は,中世では巨大な海洋国家であり,室町時代末期に鉄砲,キリスト教,「カステラ」「ボタン」「タバコ」などいろいろなことばを日本に伝え,信長,秀吉などに大きな影響をあたえた.しかし,イスラム,スペイン,英仏との長年の戦いに疲弊したのだろう.資本主義化に乗り遅れ,後れを取る.現在では南欧の小国である.しかし,その完全に近代化されていない雰囲気が旅行客には嬉しい.味のある国だと思う.

写真は市街地の急な坂道のケーブルカー と リベルダーデ通りの並木道