映画 「奇跡がくれた数式」 

  数学者を主人公とした映画がいくつかある.マット・デイモンが演じた「グッドウイルハンテイング」,ラッセル・クロウ演じる「ビューティフル・マインド」,邦画では寺尾聡が演じた「博士の愛した数式」などを思い出す.どれも魅力ある映画だ.映画の中で数学者はその特異な能力で様々な法則を解明する常人にない天才性で人を魅了するのだろう.科学者を描いた映画では数学者がもっとも多いのではないだろうか.映画ではその多くは奇人,疾病をもつものととして描かれる.その研究者のイメージはノートあるいは黒板とエンピツ,チョークだけで研究を行うものだ.世間からは物理学者はこれに近いイメージであり(量子物理学などは実験が重要なんだろうなあ),それに比べて化学者,生物学者ははるかに地道にデータ取りを続ける必要があり,少し異なるのかなと勝手に思う.原題は「The Man Who Knew Infinity」.

 時代は20世紀初頭,舞台はイギリスのケンブリッジ大学のトリニテイカレッジ,著名な数学者であるG・H・ハーディ教授(ジェレミー・アイアンズ)は,植民地であるインドで独学で数学の研究を続ける青年ラマヌジャン(デーヴ・パテール)から送られた手紙を読み,彼の才能を見抜き,イギリスに招く.そして二人の交流が始まる.しかし,エリートが集まる大学内で植民地出身のラマヌジャンの苦闘が始まる.ハーデイは彼の天才性を認めるものの,数式を証明するという概念がないラマヌジャンは手こずる.また彼は質素な生活から結核を病み,妻の残るインドに戻り,彼は死去する.しかし,彼は素晴らしい論文を残し,大学フェロウ,王立科学者協会の会員にも選ばれ,後世に名を残すことになる.インドに残る妻,そして母との関係も丁寧に描かれている.主演のジェレミー・アイアンズは70歳に近いが,最近「リスボンに誘われて」「ある天文学者の恋文」など目立たないが上質の映画に連続して出演している.個性的なトビー・ジョーンズなどが脇を固め,監督はアメリカの新鋭マシュー・ブラウン.週末の退屈な夜を楽しむには,適した映画だった.        

京都 紫野 大徳寺界隈


2月の末,金曜日仕事がないので京都北区紫野(むらさきの)の大徳寺界隈に向かう.司馬遼太郎街道をゆく34大徳寺散歩」によると紫野という地名は,染料の紫を取る紫草を採集する野原であったことから来たようだ.味のある地名だ.この地は古代の貴族たちが猟をしたり,紫草を掘ったりして遊んだらしい.平安時代,御所から徒歩1時間程度だろうが,御所に居住する天皇にとって禁野である紫野で遊ぶことは,はるか遠くの地で,退位するまで難しかっただろうと述べている. 紫草(和名はムラサキ)はムラサキ科に属し,学名Lithospermum erythrorhizon.初夏から夏にかけて白い花を咲かせるらしい.現在ではレッドデータブックに記載される希少種になっているようだ.司馬遼太郎はこの地が気に入ったらしく,「街道をゆく」で詳細に大徳寺について記している.
 大徳寺は料金を払えば境内に入ることができる観光寺院ではない.歴史を見ると14世紀に成立した臨済宗禅宗)の寺院で,20余りの塔頭があり,それぞれが独立した寺院として宗教活動を行っている.塔頭とは禅宗の大寺の中に,弟子たちが師を慕い,小院をつくったもののようだ.大徳寺の境内に入ると,各塔頭は土塀によって仕切られ,独立している.ヨーロッパの大学のcollegeに近いものかもしれない.当日は,偶々塔頭の一つの聚光院で狩野永徳の国宝障壁画を見ることができた.聚光院は千利休菩提寺としても知られる.通常事前に予約が必要らしいが,見学者も少なくしばらく待つと,入場を許され,本堂南庭の枯山水の庭園と狩野永徳の壁画を案内が付き40分間じっくり見ることができた.障壁画は永徳とその父松栄の合作であり,代表作の一つだろう.本堂のいくつかの部屋にのびのびとした絵を見ることができた.モノクロの水墨画と思っていたが,原色も用いたものもある.大した知識もなく,女性の丁寧なガイドが付き,おそらく単独で見学したのでは分からないことも説明されて興味深かった.また,千利休百五十回忌に当たり,表千家が寄贈した利休好みの茶室が残り,現在も使用されているとのことだ.

 大徳寺境内を西に向かい今宮通に出ると,向かいに紫野高校,東に大徳寺の土塀,北すぐに今宮神社が,南は船岡山公園見える.緑も多く,落ち着いた街並みだ.今宮神社に寄り,名物あぶり餅を食べ,バスで四条に向かい,四条界隈をぶらつき,夕食後帰宅した.


  

庭の哺乳類の糞について


先日妻が庭の隅に見たことのない糞があるとやや興奮気味に,言うので見に行くと,赤い小型の果実や黒い種子を含み,ネコより大型の糞であった.庭で始めてみる糞だ.この糞と同様のものを翌日も庭で見つける.六甲山南側山麓で生息する哺乳類で該当するものを早速ネットに掲載された糞の写真と照合するとどうやらジャコウネコ科のハクビシンのようだ.ハクビシンは中型の哺乳類で外来種とされる.植物食であり,糞の成分と一致しまあ間違いないかなあと思った.念のため哺乳類を研究している某氏に写真を添付してメイルで問い合わせると,ジャコウネコ,アライグマ,テンの可能性はあるが,それ以上は分からないのではとの返事をもらった.赤い果実は,クロガネモチかなとも思ったが,ピラカンサではないかと指摘を頂いた.
 六甲山にはイノシシは多く,以前夜間自宅付近にもよく現れ,庭に侵入し,芝生の根を食ったり,隣の空き地にもフエンスの下から侵入し,雑草の根を食っているようだった.20年程前に昼間にタヌキが庭に現れたこともあった.昨夏深夜庭にアライグマを目撃したと妻が言っていたが,夜間顔だけ見れば,ハクビシンの可能性もあるかなあと思う.この3種は植物を食うわけだ.
 六甲山に生息する哺乳類についての報告を調べると,糞の調査から下記の種類が報告されている(三谷ら2006).ニホンイノシシ,イタチの仲間,テン,コウベモグラホンドギツネ,ニホンリスである.他に筆者が目撃したタヌキ,その他ネット上ではハクビシンアナグマニホンザル,キツネなどが報告されている.芦屋川ではヌートリアの生息がネット上には多く報告されている.市街地で容易に発見できるからだろう.
 外来種とされるハクビシンについて調べると,謎の多い動物でかつては在来,外来かで論争があったようだ.ハクビシンは食肉目ジャコウネコ科に属し東南アジアから南アジアにかけて分布する.日本産と台湾産のミトコンドリアDNAの塩基配列から,台湾産との共通点が多く,これから少なくとも日本産のハクビシンの一部は台湾起源とすることが有力になっているらしい(増田 2011).また中国産の食性は,果実食を中心とするが,日本産では果実以外にゴミあさり,ナメクジなどを食し,雑食の傾向ももつようだ.しかし,食肉目の動物が果実食に特化しているのは興味深い.自宅の糞の正体は不明だが,自宅の糞には明らかに果実食であることを示し,多数の黒色の種子を含み,種子散布にも貢献しているのではないかと思われる.

三 谷 雅 純・横 山 真 弓・岸 本 真 弓(2002)痕跡調査と糞分析から見た果実結実期(9 月,10 月) の六甲山における哺乳類の空間分布と採食.人と自然13:57-66
増田隆一(2011) ハクビシンの多様性科学 哺乳類科学51:188
  

秋の京都東山・真如堂界隈を歩く




先週金曜日,時間があったので昼前から妻と京都に向かう.紅葉には早いが,紅葉の土日に行くと猛烈な人で疲れるので早く行くことにする.天気は悪くない.四条で下車,賀茂川を渡り,蕎麦屋櫓で天婦羅蕎麦を食べ,京阪に乗り替え丸太町で下車.丸太町通りを東に向かう.京大熊野寮前を通り,熊野神社前で八つ橋を買い,更にしばらく東に向かい,裏通りから黒谷の寺を経て,真如堂に向かう.途中古い住宅街に空き地があり,京大医学部で解剖のため献体された人たちの供養塔に出くわす.真如堂の前に旅館吉田山荘があり,カフェ真古館で休憩.コーヒーを飲む.ここは皇族の別荘を料理旅館にしたものであることを知る.カフェは敷地内にあり,旅館向かいの山荘風の小さな二階建てである.中はクラシックな雰囲気で落ち着く.窓からは庭の木々や東山が良く見える.コーヒー700円と高いがまあこの店なら良いかと思う.このあたりは紅葉の見ごろの11月下旬は大変な人だろう.店を出て真如堂の境内をぶらつき,東山を眺めながら白川通への斜面を下りる.誰にも出会わない静かな道かと思っていたが,中国系の団体旅行客に出会う.こんなルートを知っているなんて,彼らも良く調べるなあと感心する.白川通を渡り,哲学の道に入り,法然院に向かう.ここも紅葉の頃はすごい人だろう.今は落ち着いた境内だ.約30年振りに訪れたが,本堂が以前より小さく感じた.この差は何だろうかと思う.
法然院の前には「森のセンター」というミニミュージアムがあり,東山の自然について展示がある.住民団体と寺が共同で子供たちの自然観察会などを行い,保全活動を行っているようだ.法然院の住職に識見があるのだろう.ネズミ,イノシシ,昆虫などの展示を観る.土産物も販売している.哲学の道に戻り,銀閣寺に向かう.かつて哲学の道沿いにあった銭湯は取り壊され,広い駐車場になっている.平日のため歩いていて出会うのは,ほとんど外人観光客だ.今出川通を歩き,坂を下り百万遍に向かう.進々堂でコーヒーとクロワッサンを食べ,バスで四条に向かう.店のウエイトレスは中国人だろうか.祇園で降りて,観光客で賑わう四条通河原町へ歩き,河原町では妻の買いものに付き合い,四条一筋上がるの「ニューミュンヘン」でビール,ソーセージ,マグロなどを食べて帰る.食事の店を迷うときは,味と値段が無難な三条のアサヒビアレストランかこの店にしている.結構歩いたので疲れた.しかし,街を歩くことで,普段見つけることのできない,店,街並み,植物などを見ることができる.地域を限れば京都は歩いて散策するのには手頃な街の大きさだ.
写真は,,法然院,真如堂,吉田山荘カフェ.

映画 さざ波 45years

 春先に封切られたとき,見損ねたのでビデオレンタルで観る.見どころは妻役シャーロット・ランプリングの演技だと思い,彼女を注視する.彼女の夫は結婚前に当時恋人の女性とスイスアルプスに行き,恋人は滑落して行方不明になり,消息を絶ち,凍結した遺体が発見されたという,知らせが夫のもとに届く.男は動揺する.彼に連絡があったのは二人が夫婦と偽り,スイスアルプスの山小屋に宿泊届を出したからのようだ.夫はかつてメーカー勤務で,職場では組合の活動家であり,リタイアして10年は経過するだろう.妻は教員を務め,最近リタイアしたようだ.友人夫婦との会話で「サッチャーはフアシストだ」というジョークが出ることから,夫婦とも労働党のコアな支持者なのだろう.二人は郊外の農村地帯に瀟洒な家を構え,子供はいない.二人で余裕のある年金生活を送っていることが伺える.夫婦とも表面的には今の生活に満足している.しかし,遺体発見の突然の手紙が二人に「さざ波」を引き起こす.夫は深夜屋根裏部屋に保管された恋人の古い写真を探し,妻も昼間,屋根裏部屋に上がり,その写真,スライドも見てしまう.映画はその手紙が到着してから,二人の結婚45周年のパーテイがある週末までの数日間の妻の行動,心理描写を中心に描かれる.夫はスイスに向かうことも考えたが結局行かない.まっとうな大人の判断だ.しかし,妻の夫に対する不信は加速度的に深まる.彼女の行動はちょっとしたホラー映画を見るようだ.いや監督の狙いはホラー映画のようなシニアの夫婦の危機を描きたかったのだろう.

夫は今回の手紙の件に関わる自分の行動に,そこまで妻の信頼を損なったことを理解していない.結婚45周年のパーテイでは妻への感謝を真摯に語り,夫婦でダンスをする.妻はダンスの最後に夫から手を振りほどき,物語は終わる.二人は今後何事もなかったかのように装い,毎日を送るだろう.恐ろしいと言えば恐ろしい映画だ.
 シャーロット・ランプリングは,70歳の今も体形は維持され,若々しく美しい.この役は彼女以外に考えられないだろう.数年前にフランソワーズ・オゾン監督の仏映画「まぼろし」「スイミングプール」を偶々観て,彼女の魅力に引き付けられた.イギリスには彼女以外に個性的な女優がいる.テイルダ・スイントンはその筆頭だろうか.アメリカには現れない役者だ.夫役のトム・コートネイも良い味を出している.この二人はともに「リスボンに誘われて」出演している.二人の演技が魅力だが,さり気なく描かれる田園地帯,街の風景も魅力的だ.調べるとロケはイギリス東部の北海に面したノーフォーク周辺で行われたらしい.季節は冬の終わりだろうか.戸外のブナ科の落葉樹の枯葉が枝から落ち切らず残っている.服装を見ていると,それ程寒い気配もなく,花も咲いている.春を迎える前だろうか.早春なのだろう.一度行ってみたくなった.

映画 ある天体学者の恋文 Correspondence

封切3日目,土曜の昼過ぎ神戸シネリーブルに行く.場内はシニア層中心で空席が目立つ.前作の監督は「鑑定士と顔のない依頼人」「ニュー・シネマ・パラダイス」などのイタリアの名匠ジュゼッペ・トルナトーレ.この作品は恋愛ミステリーとでもいう分野だろう.脚本もトルトナーレが書いている.主演はイギリスの名優ジェレミー・アイアンズ演ずる世界的な宇宙物理学者エドワードとオルガ・キュリレンコ演ずる弟子で博士課程に在籍する大学院生エイミーの二人の対話で物語は進行する.ウクライナ出身のオルガ・キュリレンコの英語は全く問題がないようだ.舞台はロンドン,エジンバラ,イタリア北部の湖水地方.師弟関係にある二人は恋人同士でもあり,エドはエイミーを溺愛し,エイミーは研究者としてのリスペクトから彼を異性として愛している.しかし,ある日エドは突然エイミーの前から姿を消す.その後エイミーのもとにエドからメイル,動画が続けて送られて来る.エドの死が公表され,エイミーは動転し,生きているのではないかとエドの姿を探し求め,エドの生まれたエジンバラ,別荘のあった北イタリアに向かい彼の手がかりを探す.その間もエドからのメッセージは送られて来る.  
エドは,ガンによる死期が近いことを知り,自分の死後も天体の運動を予測するように,エイミーの行動を予測して,周到に用意したメッセージを送っていたのだ.老いた男が死後も若い恋人と関係を持ちたいという執念とも理解できる.あまりにも愛しすぎたのだろう.
映画は冷涼な北ヨーロッパの街を舞台に美しく描かれ,旅行気分を味わえる.エンリオ・モリコーネの音楽も心地よい.ジェレミー・アイアンズは「リスボンに誘われて」を観て,味のある役者だと再認識,オルガ・キュリレンコは今が旬の女優だろう.学生を演じるには年齢的にやや限界を感じるが,清楚で美しい.映画のスタントをアルバイトにしているという設定も面白く,学者がエイミーに「カミカゼ」と語りかけるのはおかしかった.脇を演ずる役者たちも良い.結末はエイミーの今後を期待できるようになっている.ミステリアスな物語で,当初どのような展開になるか期待したが,終わるとなあんだという感じは否定できなかった.やや期待外れか. 原題は「Correspondence」,ラブレターの文通とでもいうところか.要するに純愛映画であり,邦題にそれ程違和感はない.写真はオックスフォード大学植物園,涼しい夏の一日だった.

映画 パリ3区の遺産相続人(My Old Lady)

物語はフランス特有の不動産売買制度であるヴィアジェviagerが設定された高級アパートの遺産相続をめぐってはじまる。ヴィアジェとはフランスの一種の年金制度のようなもので、格安で自分の不動産物件を売却するが、購入者は自由に売却できず、もとの所有者が死亡するまで一定額を毎月払い続けることが義務とされ、死亡すると支払いはなくなる。売主が早く死亡すれば、物件を格安で手に入れることができる。もちろん日本ではこんな制度はない。フランス人はなぜこんなものを考えたんだろうと思う。

ニューヨークからパリにやってきた無一文の男(ケヴィン・クラインアメリカ)は、死んだ父が所有していた3区(パリの中心部、セーヌ川より北側)にある高級アパートに到着すると、そこには高齢の女性(マギー・スミス:イギリス)とその娘(クリスティン・スコット・トーマス:イギリス)が住んでいる。男はこのアパートは女性からヴィアジェであることを告げられ、あわてる。男は無一文であり、アパートを売却しようとしていた。そして老婦人がかつて父の不倫関係の恋人であり、彼女にも夫がいたこと、娘は自分の父の子である可能性もあることを知ることになる。男はさらにあわてふためく。男にとって父との関係に長年苦しみ、どうしても愛することのできない父であった。アパートに居住する母、娘は長くパリに住むがイギリス人であり、二人とも英語を教えて生計を立てている。彼らの会話はシニカルで独特のユーモアがありアメリカ人のものではない。物語は舞台劇のように進行してゆく。しかし、パリの街並み、アパートの室内(セットだろう)、アパートの窓から見える庭園は美しい。アメリカ人は(日本人も)パリが好きなんだなと思う。男はアパートを高級ホテルに建て替えようとする業者に売却を考えたが、最後に一転老婦人と娘との和解で終了する。物語は男と死んだ父との葛藤と和解の物語でもある。
3人の役者が好演。3人とも芸達者だ。クリスティン・スコット・トーマスは最近観た映画ではもっとも若々しく美しい。監督はアメリカのイスラエルホロビッツ。ほろ苦い物語を洒落た映画に仕上げている。この監督はひと昔前日本でもヒットした映画「イチゴ白書」の脚本を書いている。どうやら舞台劇を映画化したようだ。彼は結構高齢だろう。名前から予想するとポーランドユダヤ人だろうか。はじめフランス映画と思って観ていたが、主要な役者は英米、監督もアメリカ人という、パリを舞台にしたイギリス、フランス、アメリカの合作映画だ。暑い夏の夜を過ごすため数本借りたビデオの中では秀作だった。写真はパリ、カルチェラタン付近。