映画 2重螺旋の恋人

 週末神戸シネリーブルでフランス映画「2重螺旋の恋人」を観る.映画館で映画を見るのは久しぶりだ.原題は「L'Amant double」,訳せば「二人の恋人」.邦題はこりすぎだろう.監督は鬼才フランソワーズ・オゾン.主演は「十七歳」の娼婦役を演じた美貌のマリーヌ・ヴァクト演じるクロエ,相手役はベルギー出身のジェレミー・レニエ.物語の背景は,生命科学により色付けされている.

 クロエは腹痛が続くが医師の診断では,内臓に問題はなく,医師の薦めで精神分析医ポール(ジェレミー・レニエ)の診察を受ける.二人は好意をもち,生活を共にする.しかし,クロエはある日ポールとそっくりの男ルイを街で見かけ,彼も精神分析医であることを知り,受診し,彼と深い関係をもってしまう.ルイはポールと一卵性の双子であることを告白するが,ポールは双子の存在は認めない.不可思議なミステリーが展開する.最後は悲劇でおわることを予想するが,そうではない.冬のパリを舞台に,いかにもフランス映画らしい物語だ.原作はアメリカのジョイス・キャロル・オーツの「Double Lover」.アメリカでは著名な小説家であり,日本でも翻訳はいくつかあるが,文庫は出版されていない.数年前観た「複製された男」を思い出した.この作品はポルトガルの小説家ジョゼ・サラマーゴの原作を映画化したもので,二人のそっくりの男(ジェイク・ジレンホール)が登場するこれも不可思議な映画だった.「2重螺旋の恋人」は,オゾンらしい過剰なエロチックミステリーであると思う.クロエの幻覚と現実が交互に描かれ,最後に彼女の腹痛の科学的原因が明かされる.作品全体に生命科学の知識が散りばめられ,もっともらしく見えるが,この映画の見どころは,やはりクロエを演ずるマリーヌ・ヴァクトを見ること,クロエの母親役に往年の美人女優ジャクリーン・ビセットを見ることだろうか.彼女がフランス語が達者とは知らなかった.同じくイギリスのフランス語が達者なシャーロット・ランプリングとともに,老いても盛んなことに驚く.ストーリーの展開は,これはないだろうと思いながら,1時間40分は退屈ではなかった.やはりオゾンの世界なのだ.      

庭のシャリンバイの実生

寒かった冬が終わり,急速に春らしくなってきた.庭の西側のユキヤナギスイセンがようやく開花を始める.
西側のスイセンの傍に苗木を植えたコナラが高木に成長している.東側には,鳥に運ばれたマユミの種子が低木に成長している.その周辺に実生がいくつか見つかる.また,庭の南側のシャリンバイ(Rhaphiolepis indica バラ科)の植え込みのそばのフエンスの際の地面に黒色の種子がいくつも見つかる.どうやら種子の大きさ,形,色からシャリンバイの実生と種子のようだ.シャリンバイは初夏に白色の花を咲かせ,秋には黒紫色の果実を多数つける.そして冬の後半にヒヨドリなどにすべて持ち去られる.今年は2月に持ち去られたようだ.ヒヨドリは果実を食害した後,コナラ,マユミの枝やフエンスの上で休息し,糞をしたようだ.日当たりの良い,土壌も豊かな所で発芽し,実生を見つけることができたのではないか.以前から,シャリンバイの鳥による持ち去りの時期を調べようかと思っていたが,まだ行っていない.来年はやってみようかと思う.


初冬の上高地 2017

11月の上旬,仕事が休みになり,冬に入る直前の景観を見るために信州・上高地に向かう.上高地は11月15日に閉山となり,バスによる入山はできない.連休後の6日から上高地の多くの山小屋も閉まる.当初徳沢の小屋に泊まる予定だったが,ここも小屋を閉めていた.そこで釜トンネルの入り口にある温泉宿「中の湯」に泊まることにした.「中の湯」は通年営業している.宿の露天風呂から一部雪をかぶった前穂高岳がくっきりと見えた.
翌朝,上高地に入る.かなり着込んでいるが寒い.梓川の右岸をゆっくり歩きながら明神池に向かう.道は部分的に凍結している.黄葉は終わり,カラマツの葉は落ち,植物はほとんど冬支度をしている.岳沢から前穂がくっきり見える.川の下流を見ると焼岳がも良く見える.快晴だ.しばらく歩くと日光があたり,暖かくなる.川沿いの湿地帯の水を覗くとイワナの姿も見える.この時期に入山する人は山の写真を狙う人が多いようだ.外国からの旅行客を結構いるが,人は多くない.気持ちの良い散策だ.明神では小屋をまだ開けており,コーヒーを飲むことができた.昼食を食べる人,イワナの塩焼きを食べる人など結構人が集まる.しかし,まもなく小屋を閉めるため小屋の掃除をしている.慌ただしい感じだ.もうすぐ長い冬がやって来るのだ.明神から梓川を渡り,徳沢まで1時間程度歩く.徳沢でも小屋の冬支度に忙しそうだ.宿泊も休憩もできない.しばらく陽だまりで休憩して,引き返す.随分前,夕方徳沢の小屋の風呂から見た前穂の岩壁が忘れられない.山から下りて来たのどかな徳沢の光景も美しかった.途中ニホンザル(Macaca fuscata)の集団に出会う.人から逃げない.人に慣れているのだろう.越冬前に食物をできるだけ食っているのだろうか.
河童橋まで戻ると観光客も多くなる.往復12kmのトレッキング.程よい疲労である.定期バスで山を降り,中の湯に向かう.気持ちの良い1日だった.初夏から夏の上高地は何度も来たが,この時期の上高地は初めてだった.また徳沢の小屋に泊まりたい.スケッチは明神の手前から梓川,焼岳を望む.

司馬遼太郎 国盗り物語

 司馬の作品でエンターテインメントとして面白く読めるものは「竜馬が行く」「新選組血風録」,そして本作だろうか.しかし,全三巻とかなり長い小説だ.司馬もここまで長くなると思っていなかったようだ.前半は京都の油屋であった斉藤道三が美濃を支配し,最後に殺害されるまでを描き,後半は道三の娘婿であり道三の後継者でもある織田信長とその部下であり,また道三に寵愛された知将明智光秀を中心に描かれる.三人の武将は共に殺害される.道三は才能豊かで,芸術にも理解があり,人間的にも優れるが,一介の油商人から天下を狙い,京に上ろうとするが,美濃一国を支配して終わる.人生の時間が足りなかったのだ.信長は,天才的な武将であり,近世への扉を開いた開明的な武将として描かれるが,比叡山を焼き討ちするなど余りにも酷薄で奇矯な人物でもある.それに対して光秀は,芸術を理解し,戦も巧みな,人物のスケールは2人に劣るが,この時代で最も優秀な知識人あるいは知将として描かれる.司馬は前半では道三,後半では光秀に感情移入して描いている.
それにしても戦国時代とは,苛烈な時代だ.当時の武将たちは常に死と隣り合わせの人生を生きている.想像を絶する世界だ.また光秀の娘は盟友の細川藤孝の息子の妻となり,後に細川ガラシャと呼ばれる.細川家は,足利,信長,秀吉,家康の時代を巧みに生き残り,熊本城の城主として明治維新を迎える.その後継者が日本新党の細川首相であるのは,何とも面白いと思う.新潮文庫版の司馬のあとがきの日付は昭和41年6月,今から50年以上前だ.司馬が45歳頃,最もあぶらが乗った時期だろうか.歴史学者奈良本辰也の解説もつき,新潮文庫版はお薦めである.やや長いが興味はつきることがない物語だった.

新書で学ぶ生命科学入門  「ウイルスは生きている」 講談社現代新書


中屋敷均「生命のからくり」の続編である「ウイルスは生きている」を読んだ.前作は生命科学入門として適していると思った.今回は,自然史的な視点でウイルスと生物との相互作用についても詳しく述べられ,もちろんウイルス入門書としても読めるが,内容はより深く興味深い.
 
 構成の前半は,一般的には日の当たらない科学者たちの業績,人柄について述べている.スペイン風邪の原因となった鳥インフルエンザウイルスのゲノム解明に協力するため,医師フルテイン(スウエーデン生まれ)が,高齢にも関わらず,アラスカの永久凍土からスペイン風邪で亡くなった女性の遺体を掘り起し,良質の肺組織を採取し,それをもとにアメリカのトーベンバーガーらは,鳥インフルエンザウイルスの遺伝子配列を解明することができた.フルテインは若き時代に,研究者としてワクチン開発を試みたが失敗し,医師として人生の後半を送るが,若き日の夢が忘れられず,晩年に報酬なしで再びアラスカに向かったのだ.この物語には感銘を受けた.
 次はウイルスの発見者の一人として科学史に名を残したオランダの孤高の科学者ベイエリング, 転移因子(トランスポゾンなどの総称)を発見したアメリカの女性植物遺伝学者マクリン・トラックについて述べている.マクリン・トラックは1983年,81歳でノーベル生理学・医学賞の受賞が決定したとき,その知らせを聞いて「Oh dear!(あら まあ)」と一言つぶやいて,朝のクルミ狩りの散歩に出かけたとされる.ウイルスの専門家には当然この二人の知名度は高いのだろうが,中屋敷は業績は偉大だが,どこか世間から変わり者と見られる孤高の科学者に関心を寄せている.
 マクリン・トラックの業績から著者は原核細胞内のプラスミドとウイルスの区別は曖昧であり,ウイルス,転移因子,プラスミドがひとつながりの存在であると述べている.プラスミドは遺伝子組み換えに利用することは知られているが,プラスミドの存在の意味について気になるが,あまり考えたことはなかった.取りあえずwikiで調べてみると,「プラスミド は細胞内で複製され、娘細胞に分配される染色体以外のDNA分子の総称。細菌や酵母の細胞質内に存在し、染色体のDNAとは独立して自律的に複製を行う。一般に環状2本鎖構造をとる。 細菌の接合を起こすもの(Fプラスミドなど)、抗生物質に対する耐性を宿主にもたらすものなどがある」とある.手元の岩波生物学辞典ではそれに付け加えて「真核細胞のミトコンドリア葉緑体などに含まれるDNAは,一般にオルガネラDNAと呼ばれ,区別されている.その因子(プラスミドのこと)の存在は通常,細胞の生死にとって必ずしも必須のものではないが・・・・」とある.これを読んでいると,プラスミドは原核細胞に固有のものではないし,核とは異なるDNAをもち,細胞内共生しているミトコンドリア葉緑体の存在と厳密に区別できないということになる.
3章は「宿主と共生するウイルスたち」で寄生蜂と寄主昆虫そしてポリドナウイルスとの関係などを紹介している.この本ではもっとも興味深い章であった.寄生蜂を研究対象にしたこともあるが,寄生蜂に対する寄主の免疫作用について,特に考えたことはなかった.この章では寄生蜂の卵が寄主の免疫機構からいかに免れているかをウイルスに関連付けて述べている.このポリドナウイルスは,寄生蜂の卵とともに寄主の体内に注入された後,寄主細胞に感染し,感染細胞内で増殖するのでなく,レトロウイルス同様に,ウイルスDNAを寄主の核に移行させ,寄主ゲノムに入り込んでゆく,そして寄主ゲノムDNAからウイルスの遺伝子を発現させ,タンパク質を生産して寄主の寄生蜂に対する免疫反応を抑制する.さらに寄主の変態を阻止するという.つまり寄生蜂とポリドナウイルスは完全に共生していることになる.ところでポリドナウイルスの起源はどこにあるのか.ポリドナウイルスはどうやら寄生蜂のゲノムDNAにコードされ,寄生蜂のタンパク質をもとに増殖しているとされる.ポリドナウイスルは本当にウイルスなのか.寄主体内で自分に都合のよいタンパク質をつくらせる分子装置ではないかと疑問が生まれるが,このウイルスは昆虫に感染するDNAウイルス,ヌデイウイルスを起源とすることが最近分かったようだ.ウイルスとは何か,ウイルスと昆虫ゲノムとの関係を考えると非常に興味深い話だ.

後半の記述は様々なウイルスと生命が如何に近似した存在かを論じた最近の研究成果を紹介している.海中の古細菌,巨大ウイルス,パンドラウイルスなど、著者は明らかに,生物の3ドメイン説(細菌,古細菌,真核生物)に対して,「ウイルスも生物じゃないか」という4ドメイン説を考えているのだろうか.同じくウイルスについて入門書をいくつも書いている武村政春と視点は近いが,中屋敷はより自然史的な視点でウイルスを考えている.武村のブルーバックスの著作とともにお薦めの新書だろう.

スケッチは以前アップしたのではないかと思うが,寄生蜂(ヒメバチ)を調査した三田市郊外の里山.雨の多い,気温の低い夏だった.

初夏の湖北の街 長浜




5月の末,大阪からJRの快速で湖北の街長浜へ向かう.天気は薄曇りで暑くない.出歩くには適当な気候だ.長浜は琵琶湖の湖北に位置する秀吉が築城した城下町であり,門前町でもある.城は湖岸に再建されたものがあり,天守閣の最上階に上がると,琵琶湖と周辺の山々が一望できる.遠く竹生島石灰岩の山,伊吹山を見ることもでき,なかなか気持ちのよい眺めだ.城には隣接して歴史博物館が設置され,秀吉が湖北を支配するため,戦闘を行った賤ケ岳などについて展示がある.石田三成についても展示は多い.長浜市石田三成を街おこしに使っているようだ. この秀吉の湖岸の築城の経験が後に秀吉の大坂城の建設に大きく役立ったと思われる.城の東側には,趣のある古い商店街があり,その街を水路が走る.街の南北に北国街道が通り,古民家を利用した,飲食店,土産物,カフェ,レストラン,アクセサリー屋などが並び,若い人たちも店を営み,遠方から観光客が集まる.意外と店の数も多い.この日白人は見かけなかったが,アジアからの観光客もちらほら見られる.海外からのリピーターは,京都,奈良,大阪では飽き足らず,この小さな城下町に訪れるのだろう.日本人がフランス,イタリアの地方の田舎町を訪れるのに似ているのだろうか.この街がネット上ではどのように紹介されているのか少し興味を感じる.数年前用事で短時間津和野に寄った時も白人が来ていたのを思い出す.
城の近くで小柄な白人の女性を見かけたが,どうも観光客ではないので,長浜市のサイトを調べるとブラジル人約1500人が居住するとある.長浜市の人口は約60000人で結構な人数である.国際都市である.彼らは湖北にある工場や飲食店などで勤めているのだろう.戦前父が旧制高校生か大学生の時,旧制福井工業専門学校を卒業した父の叔父が繊維会社の技術者として,長浜に勤務し,その叔父の家に神戸の住吉からよく遊びに行ったらしい.父は琵琶湖でボートを借りて,竹生島近くまで漕いだというような話しもおぼろげに聞いたことがある.その父の話が今回の電車の小旅行に行ったきっかけになったと思う.今から70年以上前父が訪れた長浜はどのような街だったのだろうかと興味を感じた.
 大阪から電車で約1時間半,湖西の比叡,比良の山々と湖東の田園風景をぼんやり眺めながら,長浜に向かい,半日長浜を散策するのは悪くないかもしれない.できれば船に乗り,沖合の竹生島に行くのが良いと思う.

春の六甲山 東お多福山 草原の植物

4月の末の土曜日,三田の博物館の研究員橋本佳延さんの案内で草原の再生の取り組みが行われている東お多福山に登る.子供のころ,東お多福山はススキの草原だった.自分の中学の卒業アルバムを見ると,おそらく1967年の春のお多福山で行われた校外学習の写真があり,見事なススキの草原が広がっている.しかし,その後ネザサが繁茂する山へと植生の遷移が進み,10年程前から市民団体が中心になり,ススキの草原の山の再生のため年に数回,ネザサの刈り取りとモニタリングが行われている.橋本さんの話によると,かつては神戸市東灘区本山村の住民がススキを刈り取り,茅葺の材料にすることで,草原の植生が維持されていたらしい.その人為的な作用の消滅と山火事の減少が,背の高いネザサの草原に変化し,地表に日が当たらなくなり,草原の陽性の植物は消滅の危機にある.しかし,再生事業で,スミレなどの草本類の個体数が増えてきたようだ.またススキを食うバッタ類も増加しているそうだ.草原の再生は
生物の多様性に貢献するのだろう.
 バスで奥池の手前の登山口まで上がり,そこから谷合をゆっくりと登りながら,開花中の木本,草本の説明を聞きながら,山頂に向かう.春先は,多くの植物の葉は展開前で,見通しが良く,観察しやすい.天気も良く,気持ちが良い.雌雄異株のクロモジの花,開花の終わったタムシバ,開花中のヤマザクラや数は少ないがイヌブナの木を見ながら,草原部分の下部に到着すると,背の高いネザサに覆われている.さらにしばらく登ると刈り取られた見晴らしの良い所で,昼食を取る.食後東お多福山山頂から,南西斜面のネザサが刈り取られた草原の中核部に向かう.ここは見事な草原が広がっていてスミレ類,林縁にはシュンランなどが見られる.草原の植生が再生されているようだ.刈り取りは,多数の人力で行われ,その搬出が難しく,草原の隅に積み重ねられている.かつて,茅葺の材料にされていたころは,麓まで運び出すのは大変な労力が必要だっただろう.野焼きを行うことも検討されたそうだが,ネザサを焼くノウハウがないこと,麓に別荘地帯があることなどで延焼の危険性があり行われていないそうだ.今後もボランテイアの市民による刈り取りを続けるようだ.高温多湿の日本列島で草原の植生を維持するのに,これほど人為的な作用が必要だとは思わなかった.しかし,放置すれば鬱蒼とした藪山に変化し,草原性の動植物は消滅するだろう.日本列島では草原は,人と自然の相互作用による産物なのだ.人間活動により形成,維持される気候的極相でない半自然植生を里山と定義すれば(湯本ら2011),東お多福山の草原は里山と言えるのだろう.
 遠くに見えるヤマザクラ,コバノミツバツツジ,スミレなど多くの花は,標高700mの山では今が盛りだった.爽やかな気持ちの良い1日だった.
参考文献 湯本ら 里と林の環境史(2011)  文一総合出版